Carp eat cherry blossoms. koi zenpukuji Park Tokyo Japan 桜花を食べる鯉 善福寺公園
参考資料 Wikipediaより
観賞魚・錦鯉(ニシキゴイ)
概要
錦鯉(ニシキゴイ、英: Koi)は、普通の鯉(Cyprinus carpio) を観賞用に養殖した変種である。黒以外の鯉を色鯉(イロゴイ)、特に赤い鯉を緋鯉(ヒゴイ)、特に観賞魚として色彩や斑点など、体色を改良されたものを錦鯉(ニシキゴイ)という。特に錦鯉にはその模様によって多くの品種があり、紅白、大正三色、昭和三色、黄金、浅黄などがある。錦鯉は飼育用として人気が高く、斑点模様、色彩の鮮やかさ、大きさ、体型を価値基準として高額で取引されている。また、鱗が大きくて部分的にしかないドイツ鯉も移入されている。これに対して、ふつうの黒色の鯉は烏鯉(カラスゴイ)または黒鯉(クロゴイ)、特に野生の鯉は野鯉とよばれる。なお飼育型の鯉は尾びれの下半分が赤く染まっているものが多く見られる。錦鯉は日本の国魚である。
歴史
さまざまな色の鯉については中国の西晋時代(4世紀)の書物に言及されているが、錦鯉を育てることは19世紀の新潟県旧山古志村で始まったと一般的に考えられている。田で働く農民が、一部の鯉が他のものより明るい色をしているのに気づき、それを捕まえて育てたとされる。(通常であれば他よりも明るい色は鳥やその他の捕食者に見つかりやすいため、その魚は生存しにくくなる。)山古志村で錦鯉の養殖が盛んになった背景に、1、冬期の非常食用として休耕田に鯉を養殖する習慣があり、2、山間部にある為、隠し田が多く存在し、比較的裕福であった。2点が挙げられる。余裕のある農家の趣味としての錦鯉の交配が進み、質の良い物が売買されるようになった。それ以降養殖は進み、20世紀までには数多くの模様が開発された。もっとも顕著なものは赤と白の「紅白」と呼ばれるものである。1914年の東京博覧会に出品されるまでは、開発の程度が世に知られることはなかった。この東京博覧会から、錦鯉への関心は日本中で爆発的に広まった。さらに、錦鯉を飼う娯楽はプラスチック袋の発明以降世界に広まり、飛行機や船の技術の進歩により、錦鯉の輸出は速く安全なものとなった。これらの要因により、錦鯉を低い損耗率で、世界中へ輸出できるようになった。現在は、ほとんどのペットショップで広く売られており、専門のディーラーを通せば特に高い品質のものを買うこともできる。
なお、以後新潟県では錦鯉の養殖が盛んになるが、2004年の新潟県中越地震により、旧山古志村を始め、一時壊滅的な被害を受けている。
ニシキゴイの変種
ニシキゴイの変種は、その色、模様、鱗の有無で見分けることができる。まず主な色としては、白、黒、赤、青、緑、黄色、紫およびクリーム色がある。また、ニシキゴイには鱗に金属のような光沢があるものがあるが、こういったものは金鱗・銀鱗と呼ばれる。また、ほとんど全ての種に対して鱗のない変種がある。日本のブリーダーはそれらを「ドイツゴイ」と呼んでおり、日本産のニシキゴイとドイツ産のカガミゴイ(鏡鯉)を交配することで鱗のない変種を作り出している。それらドイツゴイには側面に大きな鱗を持つものもいるが、まったく鱗のないものもいる。
また、バタフライコイ(1980年代に開発された、長くゆったりと垂れるひれが特徴的)は、実際にはアジアコイとの交配種であり、本物のニシキゴイとは見なされていない。
可能な変種は限りないが、ブリーダーは特定のカテゴリーで識別し命名している。もっとも知られたカテゴリーは御三家である。御三家とは、紅白、大正三色、および昭和三色の三つである。